解決事例
NST(胎児心拍数モニタリング)で基線細変動の減少など胎児の低酸素状態のサインを見落とし、死産(胎児死亡)となったことについて約1000万円の示談が成立した事例
医療ミスの事案概要
胎動減少を自覚して受診
妊婦さんは妊娠38週目の朝に赤ちゃんの胎動が減少していると感じ、夜には胎動がなくなったことから、妊婦健診に通っていた産婦人科クリニックに電話して受診しました。赤ちゃんが元気かどうかを監視する胎児心拍数モニターを使ってNST(Non Stress Test:ノンストレステスト)を行いましたが、胎動はほとんどなく、胎児心拍数の基線細変動は減少し、遅発あるいは遷延一過性徐脈が認められていました。基線細変動の減少や一過性徐脈というのは胎児に十分な酸素が届いていないサインでした。
しかし、その時モニターを見ていた助産師は、赤ちゃんが眠っているだけだと考えて、胎児の目を覚ますための音を出す機械を使って腹壁刺激を10回以上行いました。しかし、胎児の状態は変わらず、胎動は弱いままで、基線細変動の減少傾向も改善しませんでした。
モニタリングは約50分間続けられたものの、赤ちゃんが元気であることを示す一過性頻脈は確認できず、基線細変動の減少も改善しませんでした。
助産師は翌朝に再来院するよう指示
助産師は、赤ちゃんの状態が危険だとは考えず、眠っているだけだと考えて、妊婦さんに対して医師の診察や入院は必要ないし、翌朝に再来院すればいいと指示したので、妊婦さんは帰宅しました。
妊婦さんは助産師の指示通り、翌朝一番に再来院して、胎児心拍数モニタリングが始められましたが、その時すでに赤ちゃんの心拍は認められずお腹の中で心臓が止まっていました。その後、死産となりました。
法律相談までの経緯
赤ちゃんが死産となってしまったことについて、ご両親は、自分たちだけで何度か病院と話し合いをされました。しかし、院長先生や担当医師からは助産師のミスだからクリニック側は関係がない、責任がない、助産師はもう辞めさせた、などと言われていました。そこで、どうしたら良いか分からず、ご家族が当事務所に相談されることになりました。
相談後の対応・検討内容
当事務所にてクリニックから開示されたカルテや、モニタリング(NST)のデータを精査したところ、胎動の減少を患者が自覚して来院した時から赤ちゃんは苦しいサインを出していたことがわかりました。CTG(胎児心拍数陣痛図)に赤ちゃんに十分に酸素が行き届いていないサインがあり、基線細変動の減少と一過性徐脈を示す波形が何度も出現していたのです。本来ならば、そのモニターを見れば、すぐに入院させて、緊急帝王切開を行うなど、急速遂娩の準備を始めるべきでしたが、その状況で患者を帰宅させたことは問題であり、法律的にみても過失があるのではないかとの判断に至りました。
医療過誤による死産、裁判で損害賠償請求はできる?
法律上、胎児は出生してはじめて「人」として扱われることになります。
生まれる前の胎児は、民法上「人」としてではなく、妊婦の身体の一部としてしか扱ってもらえないことになっています。民法3条1項に、「私権の享有は、出生に始まる。」と書いてあり、胎児には民法上の権利能力(法律上の権利・義務の主体となることができる資格のこと)が認められておらず、損害賠償請求をすることができないと解釈されているからです。赤ちゃんに権利がないので、赤ちゃんが亡くなったときにその権利を引き継いだ両親や親族が代わりに損害賠償を請求することもできません。
この民法の規定からすると、赤ちゃんが生まれる直前に亡くなってしまっても、人として扱われないということになり、生まれた直後に亡くなった場合と比べると、どう考えても不合理なのですが、法律上どこからを「人」として扱うかを決めておかなければ権利関係が錯綜(さくそう)するため、このような民法上の決まりになっているのです。
両親固有の損害賠償請求は可能
現実の裁判では、その様な0か100かというような不公平を、今の民法の記載を生かしたまま少しでも解消しようと、不完全ながら様々な工夫がされています。生まれてきてすぐ赤ちゃんが亡くなった場合と比べて、不平等であることから医療過誤や交通事故などによって胎児が死亡するに至った場合、その事故による行為は、胎児と同時に母親である妊婦に対して行われた行為と捉え、母体に対する傷害として母の損害賠償請求権を持っているという解釈が行われることがあります。また、近親者固有の慰謝料(民法711条)として、赤ちゃんを失ったお父さん、お母さん自身の慰謝料が認められることもあります。
しかし、お父さんの慰謝料は身体を傷つけられたお母さんの分に比べると、その金額は1/2程度になることが多いといわれています。
過去の裁判例からみても、賠償額の基準は明確ではなく、目安として数百万円程度となることが多く、個々の状況を鑑みて設定されているようですが、妊娠期間が長いほど(赤ちゃんが大きく育っているほど)高額になる傾向があります。
弁護士の対応
今回のケースでは、胎児の権利能力という民法固有の問題を孕むケースであったため、裁判になる可能性も考慮して医療訴訟を専門としている平井健太郎弁護士にも協力してもらって当事務所の富永と一緒に共同で受任しました。
事実経過を踏まえ、カルテから過失や因果関係を詳細に検討しました。また、事前のご両親の交渉時に責任を認めないかのような医師の発言もありましたので、裁判になる可能性も十分にあると考えて、胎児が死産となってしまった医療事故、交通事故などの裁判例や和解での解決例についてできる限り情報を収集しました。その上で、まずは話し合いによる解決の可能性があるのかを確認する通知書を病院側へ送付しました。
病院側からは、医療ミスの責任を認めて話し合いに応じたい、との回答がありました。賠償金額については、こちら側の予想した通り、相手方代理人から胎児が「人」ではないことからもっと低額のはずだという趣旨の主張もありましたが、これまでの和解の報告例と、今回の事情を考慮すれば、無事に出生でき元気に育つことができた可能性も高いことを鑑みて、少なくとも1000万円の支払いをすべきと反論しました。
結果としては、通知書送付から約2か月と早期に示談を成立させることができました。(解決金約1000万円)
富永弁護士のコメント
胎児は人ではない、という民法上の問題は民法が改正されても解消されていません。生まれた瞬間に亡くなれば、人として平均余命まで生きるはずだった分の賠償を求めることができます。しかし、人として生まれる前に亡くなってしまうとモノ扱いになってしまうのです。
これまでの裁判例や和解例からすれば今回の1000万円の解決金は低い金額ではありません。しかし、ご両親にとってはすでに名前を決めておられることもありますし、声をかければお腹の中で動いて返事をしてくれるかわいい家族の一員だったはずです。それなのに産婦人科での医療ミスや交通事故で命を奪われてしまうと、今回の様な不合理なことになるのです。
この問題に対して、裁判所も何とか公平の観点から色々な法律的な考え方を使って、救済を試みていますが、まだまだ不十分です。
さらに、赤ちゃんがもっともっと小さい受精卵だった場合には、やはりモノなのかという問題もあります。これもご両親にとっては大切な命ですが、法律的にはモノ扱いにされてしまいます。
実際に、凍結保存していたはずの受精卵をクリニックで紛失されたケースや、他の女性に使ってしまったケースなど(考えただけでも恐ろしいことですが)、当事務所に来られたケースのお話です。
不妊治療も保険適応となりこれから一層拡大すると思いますが、その様な命の萌芽を法律的にいかに扱うべきかについて、日本の法律では不十分なところがたくさんあります。法律的な考え方と、医学的・科学的な考え方を両方合わせて総合的な判断が必要な課題は本当に多いのです。日本の未来のためにも、医療と法律を両方扱える専門家が、もっともっと増えてほしいと切に願っています。
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この記事を書いた人(プロフィール)
富永愛法律事務所医師・弁護士 富永 愛(大阪弁護士会所属)
弁護士事務所に勤務後、国立大学医学部を卒業。
外科医としての経験を活かし、医事紛争で弱い立場にある患者様やご遺族のために、医療専門の法律事務所を設立。
医療と法律の架け橋になれればと思っています。