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無痛分娩の麻酔事故。あなたの産院は本当に安全な無痛分娩ができる施設?
富永愛法律事務所 医師・弁護士 富永 愛 です。
司法試験に合格し、弁護士事務所での経験を積んだ後、国立大医学部を卒業し医師免許を取得。
外科医としての勤務を経て、医療過誤専門の法律事務所を立ち上げました。
実際に産婦人科の医療現場を経験した医師として、法律と医学の両方の視点から産科を中心とした医療問題について発信します。
無痛分娩の安全性
「無痛分娩、急変対策で病院選び」と新聞の医療面での特集を見て、当事務所に先日あった相談を思い出しました。無痛分娩を勧められて分娩したが、赤ちゃんが亡くなってしまった、という内容でした。多くの妊婦さんは無痛分娩をしても問題なく赤ちゃんを出産していますが、なぜ「安全か?」が問題になっているのか?それは安全に行われているとは言えない産婦人科がまだまだあるからです。
イギリスの英国産化麻酔科学会の運営する無痛分娩情報提供サイトLabourpains.comでは「Epidural Information Card」として、無痛分娩で発生する合併症について書かれています。
出産は、問題なく進んだ場合には、助産師さんが立ち会ってくれているだけで元気な赤ちゃんが生まれます。しかし「問題なく進むかどうか」は事前に予測することは不可能です。元気な妊婦さんであっても、妊娠という体の異変のバランスが崩れることでお母さんや赤ちゃんの命を脅かすことが大いにあります。
分娩、出産は、40週ごろまで子宮の中ですくすくと大きく育った赤ちゃんが、そろそろ子宮の外に出ようとすることで始まります。子宮が収縮し始めると、ギュッとお腹が強く張り、狭くなった赤ちゃんが唯一の出口である膣のほうに、頭から進んでいきます。子宮の収縮が定期的に痛くなり、緩み、を繰り返すと、陣痛がきた、ということになります。
子宮の入り口は、妊娠中は閉じていますが、赤ちゃんの頭に押される形で少しずつ開いていきます。子宮の入り口も様々なホルモンの働きで熟す、つまり柔らかくなって赤ちゃんの頭が通りやすいように変化していきます。子宮の入り口は、赤ちゃんの頭が通るときには最大10cm程度まで開きます。このときの痛みは、お尻のあたりが、裂けるような痛みを感じることになります。この子宮の収縮する陣痛の痛みや、子宮口が裂けるような痛みを緩和して、少しでも妊婦さんが体力を温存できるように手助けする役割をするのが、「無痛分娩」です。痛みが全くなくなるわけではありませんが、「無痛」と言われています。
「無痛分娩」という言葉は実は正式な医学用語ではありません。分娩の際に痛みが緩和されるあらゆる方法が無痛分娩という言葉で語られています。
無痛分娩に使用される麻酔とは?
最も一般的な無痛分娩は、「硬膜外麻酔」、「硬膜外鎮痛」などといわれる、背骨の中を走っている脊髄の近くの硬膜外というスペースに、麻酔薬を少しずつ流し入れ、お腹やお尻の痛みが頭に届きにくくする、麻痺させる効果を狙う方法です。硬膜外麻酔という方法は、実はお産だけではなく、その他の全身の手術の際に、痛みを緩和する方法として活用されているもので、無痛分娩に特有の方法ではありません。内臓の手術のときにも、手術中や手術後の痛みを和らげるために、全身麻酔(麻酔薬を口から吸入する方法など)に硬膜外麻酔が併用され活用されています。そのため、麻酔科の先生達にとっては、日常的に行っている硬膜外麻酔の活用方法の一つ、ということになります。
無痛分娩に関する正確な知識は、ネット上にたくさんの情報がありますが、麻酔科医の先生たちが中心になって、無痛分娩に関する知識を発信されています。一般社団法人 日本産科麻酔学会JSOAP Japan Society for Anesthesia and Perinatologyは、「一般の方へ」として無痛分娩や帝王切開の麻酔について、Q&Aを作っています。一般の方へ、と書いてありますが、その内容は医学的なことがたくさん盛り込まれていて難しいかもしれません。それでも、丁寧に正しい知識を発信しておられるという意味で信頼性が高いサイトだと思います。
麻酔は安全か?
「安全か?」ということからすると、硬膜外麻酔に慣れている麻酔科医の先生が、分娩中にずっと立ち会ってくれていれば、一番安心です。麻酔薬の効き方は、個人差がありますので、麻酔薬が効きすぎてしまうこともありますし、麻酔薬の効果がなかなか出ないからと量を増やすと、急に麻酔が効いてしまうというようなこともあるからです。麻酔が効きすぎるとどうなるのでしょうか。例えば脊髄に効く麻酔が、陰部やお腹などの下半身だけではなく、もっと上の方まで効いてしまうと、例えば呼吸をする機能まで麻痺してしまい、呼吸困難や呼吸停止になることもあります。また、心臓を動かしている機能まで麻痺してしまうと、不整脈や血圧低下、心停止に至ってしまうこともあります。麻酔がどこまで効いているのか、その様子を見ながらちょうど良い効きを観察しながらお産を進める必要があるのです。
麻酔薬の効果が下半身だけだったとしても、子宮が収縮する働き、赤ちゃんが膣の方に降りてきてくる働きまで弱めてしまうということもあります。陣痛が弱い、という状況になると、赤ちゃんは下に降りていかず、下からの出産がうまくいかなくなることがあるからです。
無痛分娩の麻酔の安全性が問題になるのはなぜ?
無痛分娩には硬膜外麻酔、という方法を使っていると説明しましたが、脊髄に背中から麻酔薬を入れるという麻酔の方法は、大きく二種類があります。
硬膜外麻酔
まずは硬膜外麻酔についてご説明します。「硬膜」とは、脊髄(神経の束)を包んでいる硬い膜を言い、硬膜外麻酔とはその硬い膜の外側のスペースに麻酔薬を入れて、硬膜に包まれた脊髄にじんわりと麻酔が効くようにする方法です。
脊椎麻酔
それに対して硬膜の中の脊髄があるスペースに直接、麻酔薬を入れて脊髄を痺れさせてしまう方法を「脊髄麻酔」と言います。帝王切開の手術をするときに使う麻酔も、この脊髄麻酔を使用します。帝王切開は直接、脊髄のあるところに薬を入れて、下半身を麻痺させている間に行います。腰から下の麻酔で使われることが多く、腰骨のところに麻酔薬を入れるので腰椎麻酔、ルンバール麻酔等と言われることもありますが、すべて脊髄麻酔の一つです。脊髄麻酔は「硬膜下」麻酔(硬膜の中に麻酔薬を入れるという意味)と言われることもあります。
言い方は色々ですが、硬膜外麻酔は硬膜という硬い膜の中の外に麻酔を入れる、脊椎麻酔は硬膜の中に麻酔を入れるというのが大きな違いです。
硬膜外麻酔は職人技
「脊髄麻酔(硬膜下麻酔)」は、麻酔科の先生でなくても産婦人科の先生や、外科の先生が自分で麻酔薬を投与してから手術をする、ということのできる、比較的簡単な麻酔方法と言われています。なぜか、というと脊髄の近くまで薬を入れるので、硬膜を貫いて脊髄がある部分まで一気に注射針を進めて、薬を投与してしまっても良いからです。
一方、「硬膜外麻酔」は、硬膜の手前、硬膜に傷をつけないように、先が尖っていない針を使って、硬膜の手前までで針先を留める必要がある、「寸止め」技術が必要です。また、脊髄麻酔では直接ダイレクトに脊髄に薬を流し込むので、少量の麻酔薬で効果があり、効き始めもすぐ効果が出ます。硬膜外麻酔では、硬膜という膜を隔てて、じんわりとした麻酔の効果を狙って、長時間薬が効くことを狙うものなので、ある程度の量の麻酔薬を、硬膜を隔てた向こう側にじんわり効かせる技が必要になります。
『もし、「硬膜外麻酔」をしようと思って麻酔をしたのに、硬膜を破ったり傷つけてしまったりすると、濃い麻酔薬が脊髄に直接効いてしまうことがあるのでは???』
そのとおりです。無痛分娩の麻酔の安全性が問題になるのは、硬膜外麻酔をするはずが、うっかり脊髄まで薬を入れてしまった場合(脊椎麻酔になってしまった場合)、麻酔が効きすぎて呼吸が止まったり、心臓が止まったりする可能性があるためです。
背中から針を刺し入れて、麻酔薬を投与するチューブを入れるとき、針の先がどこまで行っているのかは、目で見ることはできません。そのため、針を刺した医師の親指の感覚で針先の抵抗や、注射器のピストンを吸引してみたときの抵抗感などの職人技とも言える感覚が頼りなのです。その感覚を頼りに、多分硬膜外にちゃんとチューブが入っただろう・・・と考えて麻酔薬を投与していく、これが硬膜外麻酔の実際の姿です。
麻酔薬を投与し始めたときに、きちんと観察をしていれば、効きすぎているかどうかがわかります。硬膜外麻酔の背景を知れば、硬膜を破っていないか、薬が多すぎないか、呼吸や心臓に問題はないか、観察することがいかに重要であることがわかると思います。
産婦人科によっては、一人の産婦人科医だけで多くの出産を扱っておられる病院やクリニックがあります。一人の妊婦さんだけであれば、一人のドクターが関われば大丈夫です。しかし、偶然、同じ日の同じ時間帯に、妊婦さんが二人になったら、一人は助産師さんや看護師さんが観察するしかありません。一人の妊婦さんが緊急帝王切開になったら、どんなに急いでも30分から1時間は帝王切開をするために産婦人科の先生はかかりきりになります。そこで麻酔事故が起こると大変なことになります。
麻酔の事故を防ぐための体制が整った施設とは?
無痛分娩が安全に行われるように設立された団体があります
このような事故を無痛分娩で起こさないために、麻酔科医がいれば最も安全ということはわかっていますが、麻酔科医は全国的な不足がいわれている日本の現状では、産婦人科の病院やクリニックが、常に麻酔科医がいる体制を作ることは現実的ではありません。そのため、麻酔科がおらず、ドクターが一人であっても、安全な無痛分娩を行える体制を整えようという考えのもとで日本産婦人科医会など産婦人科医ドクターたちが、声を上げています。わが国の無痛分娩の安全性向上を目的として、無痛分娩に関わる学会・団体、日本医師会・日本産科婦人科学会・日本産婦人科医会・日本麻酔科学会・日本産科麻酔学会が2018年に設立した団体がJALAです。
無痛分娩関係学会・団体連絡協議会JALA Japan Association for Labor Analgesiaは「もっと知りたい、無痛分娩のこと。妊婦さんやご家族に、無痛分娩に関する情報を提供しています。」とホームページのトップに掲載されています。この団体の一番の活動は、無痛分娩を扱う産婦人科病院やクリニックが安全に実施できるための研修を行い、一定の基準を満たした施設を一般市民に公開する、という目的があります。
JALAは2019年2月の時点で、全国の全ての分娩取扱施設に対してこのような方法による無痛分娩に関する情報公開の取り組みへの参画を依頼し、2019年12月現在、わが国で無痛分娩を取り扱っている施設400強のうち、336施設から参画への同意が得られました。しかしまだ「一定の基準を満たしていない」まま無痛分娩を行っている産婦人科がある、ということも意味しています。
産科医療補償制度でも無痛分娩が問題になっています
産科医療補償制度で分析が行われた実際のケースでも、麻酔の経過観察が全く行われていなかったケースが問題になっています。
下記は令和3年3月26日の原因分析報告書の一部です。
医療訴訟で病院の責任が認められたケースも
実際に無痛分娩で麻酔事故が起こり、母子ともに寝たきり状態になったとして裁判になり、患者側の主張が認められたケースもありました。(京都地裁令和3年3月26日(判時2512号60頁)
このケースで無痛分娩のための硬膜外麻酔で誤って脊髄麻酔になってしまい、妊婦さんは心肺停止になりました。妊婦さんは心肺停止後、一命をとりとめましたが、低酸素脳症等の障害(後遺障害等級1級)、赤ちゃんは新生児低酸素性虚血性脳症等の障害(後遺障害等級1級)が残り、約6才で亡くなりました。
その後無痛分娩による妊産婦死亡事故が複数起こったことから、厚生労働省でも問題が認識され、平成29年度厚生労働科学特別研究事業「無痛分娩の実態把握及び安全管理体制の構築についての研究」が行われ、平成30年3月に「無痛分娩の安全な提供体制の構築に関する提言」が示されています。
厚生労働省ではこの提言を基に、無痛分娩取扱施設のための,「無痛分娩の安全な提供体制の構築に関する提言」に基づく自主点検表も作成されています。
無痛分娩を検討している方は産院の安全体制を調べてみましょう
令和3年7月にJALA(無痛分娩に関する関係学会及び関係団体から構成される無痛分娩関係学会・団体連絡協議会)で実施されている取組の詳細についても取りまとめられ、今は(令和5年4月以降)、JALAのホームページに一元化した情報が掲載されています。
無痛分娩をしてみようか、と考えている妊婦さんやご家族が、もし正確な情報を知りたいなら、まず今通っている産婦人科が厚生労働省やJALAの求める安全体制をとっているのか、調べてみることをおすすめします。
無痛分娩のリスクについて詳しく知りたい方は、「無痛分娩のリスクとは?無痛分娩を選択するメリット・デメリットも」もぜひご一読ください。
正しい情報にアクセスして、安心安全なお産を
先日当事務所に相談に来られたご夫婦は、無痛分娩と陣痛促進剤使用の出産でお子さんを亡くされていました。出産された産婦人科病院は、東京でも有数の完全計画無痛分娩ができる施設だとホームページに書いておられ、これまで2000件以上の無痛分娩をしてきたが、問題となる合併症や出産後の母体搬送は1件もなかった、と書いています。ホームページのトップには、安全で、ホテルのような快適さ、を売りにしておられましたが、残念ながら、JALAの無痛分娩の安全基準を満たす施設には認定されていません。本当に無痛分娩や陣痛促進剤の使用方法に問題があったのか、その調査はこれから開示してもらったカルテを元に進める予定ですが、妊婦さんやご家族が、本当に正しい情報にアクセスすることの難しさを改めて感じています。
陣痛促進剤にも、これまで何十年も言われてきた様々な問題があります。この点はまた別のコラムでご紹介します。
この記事を書いた人(プロフィール)
富永愛法律事務所医師・弁護士 富永 愛(大阪弁護士会所属)
弁護士事務所に勤務後、国立大学医学部を卒業。
外科医としての経験を活かし、医事紛争で弱い立場にある患者様やご遺族のために、医療専門の法律事務所を設立。
医療と法律の架け橋になれればと思っています。