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『産婦人科診療ガイドライン 産科編2023』発刊

2023.10.11

2008年から3年毎に改訂されている『産婦人科診療ガイドライン 産科編』

『産婦人科診療ガイドライン 産科編2023版』が、令和5年8月28日に発刊されました。『産婦人科診療ガイドライン 産科編2008年度版』が作成された当時から愛読者の一人ですが、2008年当時は、福島県立医大の大野病院事件で産婦人科医が逮捕されるというセンセーショナルな事件があった年です。


現在日本産科婦人科学会の理事長でおられる木村正医師が、巻頭言でも書いています。

『産婦人科診療ガイドライン産科編』が初めて作られた2008年当時は福島県立大野病院事件で産婦人科医が刑事訴追されるという大事件が起こったあとであり、医療界全体が動揺していました。その中で「国民に良質で安全な産科医療を提供する」という大きな目標の下、産婦人科医・麻酔科医・小児科医が複数名常駐する分娩施設から出される海外発のエビデンスをレビューし、日本の状況を踏まえたコンセンサスを加味しつつ「複数の選びうるケアの選択肢についての益と害に関する評価」を作成委員諸兄の英知を絞って作成が始まりました。

『産婦人科診療ガイドライン 産科編2023版』

今回の巻頭言を読み印象的だったのは、このガイドラインの目的について学会の理事長が詳しく説明しているところです。

ガイドラインの最大の目的は産婦人科医と医療を受ける国民に標準治療(現在考えられる最良の治療)を提示し、医療の質を向上させることにあります。働き方改革の時代、加えて施設内での方針の標準化にも大きく寄与するものと考えます。

『産婦人科診療ガイドライン 産科編2023版』

一方で、わが国の分娩取扱い施設の99.9%が加入している無過失補償制度、公益財団法人日本医療機能評価機構が運営している産科医療補償制度が2009年1月に創設されましたが、その報告書には、産婦人科診療ガイドラインの求める医療が行われていない臨床経過、医学的評価として「選択することは少ない」「一般的ではない」「基準を満たしていない」「評価できない」などの低い評価をせざるを得ない医療機関や分娩の実際が、まだまだあることも報告されています。

驚くべきは、子宮収縮薬の使用方法に指摘、つまり医学的に低い評価をせざるを得ない事例が、子宮収縮薬を使用して脳性麻痺になったケースの73.3%にも及ぶことです。
2023年3月の報告書では、まだ子宮収縮薬の適切な使い方がされていない現状がある、とショッキングな報告がありました。

追加・改訂された注目すべき内容は?

今回の産婦人科診療ガイドラインで新たに追加、改訂された部分として注目すべき内容を紹介します。

CQ401 緊急時に備え、分娩室または分娩室近くに準備しておく医薬品・物品は?

止血用の子宮腔内バルーンの常備、酸素マスクとしてリザーバー付きが追加されました。

また、局所麻酔中毒の補助療法として、早急な脂肪乳剤の投与が明記されました。
局所麻酔中毒は、無痛分娩で使用される麻酔薬でも起こります。そのため、無痛分娩を行う医療機関は、具体的に無痛分娩関連学会・団体連絡協議会(JALA)が認定する研修に参加して知識・技術の向上に努めるべき、とCQ421にも記載されています。

CQ309-3 妊産褥婦が子癇を起こしたときの対応は?

子癇(しかん)とは、妊産褥婦に起こるけいれんの一つです。

母体救急処置(気道確保と酸素投与、バイタルサインの評価、静脈ルート確保)に、転落防止が追加され、分娩前の場合には胎児心拍数モニタリングを行うことも明記されました。これまでのガイドラインでは、けいれん発作をおこす疾患を羅列する形式でしたが、産婦人科で問題になるけいれんは、妊娠高血圧症候群を発症した妊産褥婦に生じるけいれんの原因として頻度の高い「子癇(しかん)」に焦点を当てる記載に変わりました。子癇と診断できなくても、妊産褥婦が激しい頭痛を訴え、意識障害やけいれんを起こした場合は脳出血の可能性も念頭に起きつつ対応を進めることも明記されました。

解説も、具体的な記載に変わっています。

「子癇は、突然の意識消失と手足を強直させる強直性けいれんで始まり、ついで手足の屈指を繰り返すような間代性けいれんに移行する。一般には、けいれんは1~2分で止まり、その後昏睡状態となるが、10~15分で意識が回復する。けいれんを認めた場合は、転落を防止するため、分娩台のサイドフェンスやベッドのサイドレールを使用する。子癇の初期対応として、気道確保、呼吸状態および循環状態の評価と安定化を図り、静脈ルートを確保する。」
「けいれん中は呼吸が止まるので低酸素血症に陥りやすい。けいれん停止後に気道確保と酸素投与を行う」と新たに明記されました。
当たり前すぎることが、あえてここに明記されたのは、このような対応が出来ていない産婦人科があったからでしょう。

適切な対応が行われていれ低酸素脳症で母子が亡くなることはなかったのに、と強烈に思い出すケースがあります。
HELLP症候群の症状を放置し、子癇を引き起こしたケース

別の事例でも、けいれんを起こしてからバッグバルブマスクを使って呼吸補助をしようとしたところ、バッグバルブマスクの器具が正しく取り付けられていなかったため、酸素を送り込めない状態になっていて、いくら酸素を押し込んでも妊婦の体に酸素が入っていかず、低酸素脳症で寝たきりになってしまったケースがありました。
妊娠高血圧症候群の症状を放置し、けいれんを引き起こしたケース

けいれんに対する処置で、鎮静薬の投与が問題となることがあります。

ガイドラインにも鎮静薬について次のような記載が追加されました。
「ジアゼパムやミダゾラムは、誤嚥や呼吸抑制を引き起こす可能性があるため、絶対に必要な場合にのみ慎重に使用することを推奨している」
「NICEは硫酸マグネシウムの代用薬としてジアゼパムやフェニトインを投与しないよう推奨している」(NICE:英国国立医療技術評価機構)
「ベンゾジアゼピン系薬剤は、呼吸抑制が起こることを念頭に起き、バッグバルブマスクなどを用いた用手的人工呼吸に習熟した医療従事者の立ち会いのもと投与することが望ましい」

ジアゼパムやミダゾラムとは、いわゆる鎮静(寝かせる)点滴薬として、妊娠中絶などを行うときにも使われるため、産婦人科にも置いてある薬です。その薬を、けいれんがあるからといって、みだりに使用しないことと繰り返し書かれています。これは、そのような薬を使うことで呼吸抑制状態を引き起こして、より一層、妊婦を呼吸停止にしてしまう状況が実際にある、ということを意味しています。
先程ご紹介した子癇のケースでも、けいれんが起こったからといって抗けいれん薬としてセルシン(ジアゼパム)を投与していました。

CQ309-2 妊娠高血圧症候群と診断されたら?

「原則として入院管理を行うこと」、「収縮期血圧≧160かつ/または拡張期血圧≧110mmHgを複数回認める場合は「高血圧緊急症」を念頭に起き速やかに降圧を行う」ことが追加されました。
「母児の生命に危険な状態と考えられた場合は妊娠週数に関係なく」、重症でない高血圧であっても「妊娠37週以降妊娠40週0日までには妊娠終結を図る」ことも明記されました。これは、妊娠高血圧症候群だとはわかっていたが、様子を見ていた、というような経過観察は許されないことが明記されたということです。

CQ406 吸引・鉗子分娩術、子宮底圧迫法の適応と要約、および実施時の注意点は?

子宮底圧迫法についても、「子宮底圧迫法は、急速遂娩以外には実施しない(A)」「牽引の娩出力の補完として、あるいは準備に時間を要するなどの事態の代替法としてのみ実施する(A)」と、これまで記載されていなかったところが、明記されるに至っています。

CQ403 帝王切開既往妊婦が経膣分娩を希望した場合は?

帝王切開を経験したことがある妊婦さんが経腟分娩(TOLAC)を希望した場合の、陣痛誘発あるいは陣痛促進において、プロスタグランジン製剤(経口薬や膣内投与薬)を使用しないことが、「A推奨」(強く勧められる)ことになりました。子宮が破裂する可能性を考えて、薬剤の効果が調整しにくい飲み薬や、膣内投与薬を禁止する趣旨でしょう。

当たり前を明記しなければならない現状

改定毎に、臨床現場の産婦人科医に対してより具体的に行動する方法を明記する方向になっている印象を受けますが、医学的に見て当たり前のことまで具体的方法を明記する事が必要になっているということは、医学的に見て当たり前のことが出来ていない産婦人科臨床の現場がある、ということも表しています。ガイドラインを作成しておられる意識の極めて高い産婦人科医の先生方の、教育的熱意を感じると同時に、何故、まだこんな事故があるのか、とやるせない思いになるようなケースがまだまだあるという現実も表していると思いました。

この記事を書いた人(プロフィール)

富永愛法律事務所
医師・弁護士 富永 愛(大阪弁護士会所属)

弁護士事務所に勤務後、国立大学医学部を卒業。
外科医としての経験を活かし、医事紛争で弱い立場にある患者様やご遺族のために、医療専門の法律事務所を設立。
医療と法律の架け橋になれればと思っています。

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